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1楼2011-07-04 14:23回复
    手记之一
    我过的是一种充满耻辱的生活。
    对我来说,所谓人的生活是难以捉摸的。因为我出生在东北的乡下,所以初次见到火车,还是长大了以后的事情。我在火车站的天桥上爬上爬下,完全没 有察觉到天桥的架设乃是便于人们跨越铁轨,相反认为,其复杂的结构,仅仅是为了把车站建成外国的游乐场那样又过瘾又时髦的设施。很长一段时间我一直都这么 想。沿着天桥上上下下,这在我看来,毋宁说是一种超凡脱俗的俏皮游戏,甚至我认为,它是铁路的种种服务中最善解人意的一种。尔后,当我发现它不过是为了方 便乘客跨越铁轨而架设的及其实用的阶梯时,不由得大为扫兴。
    另外,在孩提时代,我从小人书上看到地铁时,也以为它的设计并非出自于实用性需要,而是缘于另一个更好玩的目的:即比起乘坐地面上的车辆,倒是乘坐地下的车辆更显得别出心裁,趣味横生。
    从幼年时代起,我就体弱多病,常常卧床不起。我总是一边躺着,一边思忖到:这些床单、枕套、被套、全都是无聊的装饰品。直到自己二十岁左右才恍然大悟,原来它们都不过是一些实用品罢了。于是,我对人类的节俭不禁感到黯然神伤。
    还有,我也不知道饥肠辘辘是何等滋味。这倒并不是故意炫耀自己生长在不愁吃不愁穿的富贵人家。我绝不是在那样一种愚蠢而浅薄的意义上这么说的, 只是我真的对“饥肠辘辘”的感觉一无所知而已。或许我这样说有点蹊跷,但是即使我两腹空空,也真的不会有所察觉。在上小学和中学时,一旦我从学校回到家 里,周围的人就会七嘴八舌地问道:“哎呀,肚子也该饿了吧,我们都有过类似的体验呐。放学回家那种饥饿感,可真要人命啦。吃点甜纳豆怎么样?家里还有蛋糕 和面包哟。”而我只顾着发挥自己与生俱来的那种讨好人的秉性,一边嗫嚅着“我饿了我饿了”一边把十粒甜纳豆一股脑儿塞进嘴巴里。正因为如此,我对所谓的 “饥饿感”是何等滋味,一点也不了解。
    当然,我也吃很多东西,但我不曾记得,有哪一次是因为饥饿才吃的。我吃那些看起来珍奇的东西,看起来奢华的东西。还有去别人家时,对于主人端上来的食物,我即使勉为其难也要咽下肚去。在孩提时代的我看来,最痛苦难捱的莫过于自己家吃饭的时候。
    在我乡下的家中,就餐时,全家人一共有十个左右,大家各自排成两列入座。作为最小的孩子,我当然是坐在最靠边的席位上。用餐的房间有些昏暗,吃 午饭时只见十几个人全都一声不响的嚼着饭粒,那情形总让我不寒而栗。再加上这是一个古板的旧式家族,所以,每顿端上饭桌的菜肴几乎都是一成不变的,不可能 奢望出现什么稀奇的山珍,抑或奢华的海味,以至我对用餐时刻充满了恐惧。我坐在那幽暗房间的末席上,因寒冷而浑身颤抖。我把饭菜一点一点勉强塞进口中,不 住地忖度着:“人为什么要一日三餐呢?大家都一本正经地板着面孔吃饭,这似乎成了一种仪式。一家老小,一日三餐,在规定的时间内聚集到一间阴暗的屋子里, 井然有序地并排坐着,不管你有没有食欲,都得一声不吭地咀嚼着,还一边佝着身躯埋下头来,就像是对着那蛰居于家中的神灵们祈祷一样。”
    “不吃饭就会饿死”,这句话在我的耳朵听来,无异于一种讨厌的恐吓。任这种迷信(即使到今天,我依旧觉得这是一种迷信)却总是带给我不安与恐惧。“人因为不吃饭就会饿死,所以才不得不干活,才不得不吃饭”——在我看来,没有比这句话更晦涩难懂,更带有威吓性的言辞了。
    总之,也就意味着,我对人类的营生仍然是迷惑不解。自己的幸福观与世上所有人的幸福观风马牛不相及,这使我深感不安,并因为这种不安而每夜辗转 难眠,呻吟不止,乃至精神发狂。我究竟是不是幸福呢?说实话尽管我打幼小起,就常常被人们称之为幸福的人,可是我自己却总是陷入一种置身于地狱的心境中, 


    3楼2011-07-04 14:29
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      好吧度受你赢了。慢慢审核去吧← ←


      7楼2011-07-04 14:33
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        手记之二
        在海岸边被海水侵蚀而形成的汀线附近,并排屹立着二十多棵雄伟粗大的山樱树。这些树皮呈黑色的山樱树,每到新学年伊始,便与浓艳的褐色嫩叶一起, 在蓝色大海的映衬下,绽放出格外绚丽的花朵。不久,待落英缤纷的时节,无数的花瓣便会纷纷落入大海,在海面上随波漂荡,然后又被波涛冲回到海岸边。东北地 区的某所中学,正是在这长着樱树的沙滩上就势建起了学校的校园。尽管我并没有好好用功备考,却也总算顺利地考进了这所中学。无论是这所中学校帽上的徽章, 还是校服上的纽扣,都缀着盛开的樱花图案。
        我家的一个远房亲戚就住在那所中学附近。也正因为这个,父亲为我选择了那所面对大海和开满樱花的中学。我被父亲寄养在那个亲戚家里,因为离学校很 近,所以我总是在听到学校敲响朝会的钟声之后,才飞快地奔向学校。我就是这样一个懒惰的中学生,但我却依靠自己惯用的逗笑本领,日益受到了同学们的欢迎。
        这是我生平第一次远走他乡,但在我眼里,陌生的他乡,比起自己出生的故乡,是一个更让我心旷神怡的环境。这也许是因为我当时已把逗笑的本领掌握得 天衣无缝,以致于在欺骗他人时显得更加轻松自若的缘故。当然,做这样的解释又何尝不可,但是,更为致命的原因分明还在于另一点:面对亲人还是面对陌生人, 身在故乡还是身在他乡,其间存在着不可避免的演技上的难度上的差异。而且这种难度差异无论对哪一位天才而言——即便是对于神灵之子耶稣而言——不也同样存 在吗?在演员看来,最难进行表演的场所莫过于故乡的剧场。在五亲六戚聚集一堂的房间,再有名的演员恐怕也会黔驴技穷吧。然而我却在那里一直进行了表演,并 取得了相当大的成功。所以像我这样的老油子,来到他乡进行表演,必然是万无一失。
        我对人的恐惧与先前相比,倒是有过之而无不及,它在我的内心深处剧烈地扭动着,而我的演技却是在日渐长进。我常常在教室里逗得同班同学哄堂大笑, 连老师也不得不一边在嘴上感叹着“这个班要是没有大庭,该是个多好的集体啊”,一边却用手掩面而笑。我甚至还能够轻而易举地让那些惯于发出雷鸣般厉声的驻 校军官也噗哧大笑。
        当我正要开始为自己彻底掩盖了本人的真实面目而暗自庆幸的时候,出乎意料地被别人戳了背脊骨。那个戳了我背脊骨的人,竟然是班上身体最为羸弱、脸 孔又青又肿的家伙。他身上的衣服让人觉得像是父兄留给他的破烂货,过于长大的衣袖恍若圣德太子的衣袖。他的功课更是一塌糊涂,在军事训练和体操课时,总像 一个在旁边见习的白痴似的,就连一贯小心翼翼的我也从来没有想到过提防他。
        一天上体操课的时候,那个学生(他的姓氏我早已忘了,只记得名字叫竹一),就是那个竹一,照旧在一旁见习,而我们却被老师吩咐做单杠练习。我故意 尽可能做出一副严肃的表情,“哎——”地大叫一声,朝着单杠飞身一跃,就像是跳远那样向前猛扑过去,结果是一屁股摔在了沙地上。这纯属是一次事先预谋好的 失败。果然成了众人捧腹大笑的引子。我也一边苦笑着,一边爬起来,掸掸裤子上的砂粒。这时,那个竹一不知何时来到了我的旁边,捅了捅我的后背,低声咕哝 道:
        “故意的,故意的。”
        我感到一阵震惊,做梦也没有想到,竹一竟然识破了我故意失败的真相。我仿佛看见世界在哪一刹那间被地狱之火挟裹着,在我眼前熊熊燃烧起来。我“哇”地大叫着,使出全身的力量来遏制住近乎疯狂的心绪。
        那以后,我每天都生活在不安与恐惧之中。
        尽管我表面上依旧扮演着可悲的滑稽角色来博得众人发笑,但有时候却也情不自禁地发出重重的叹息。无论我干什么,都肯定会被那个竹一彻底识破真相, 并且他还会很快向每个人透露这一秘密——一想到这儿,我的额头上就会直冒汗珠,像是狂人一般用奇怪的眼神审视着四周。如果可能,我甚至巴不得从早到晚二十 


        8楼2011-07-04 15:58
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          四小时跟踪监视竹一,以免他随口泄漏了秘密。而且就在我纠缠着他不放的时候,为了让他觉得我的滑稽行为并不是所谓的“故意之举”,而是货真价实的东西,我 真可谓殚思竭虑,倾注了所有努力。我甚至打定主意,希望一切顺利的话,成为他独一无二的密友。倘若这一切都是不可能的话,那我便只能盼望他的死亡。但我却 怎么也无法萌生杀死他的念头。在迄今为止的生涯中,我曾经无数次祈望过自己被杀死,却从来也没有动过杀死别人的念头。这是因为我觉得,那样做只会给可怕的 对手带来幸福的缘故。
          为了使他驯服就范,我首先在脸上堆满伪基督徒式的“善意”的微笑,将脑袋向左倾斜三十度左右,轻轻地搂抱住他瘦小的肩膀,用嗲声嗲气的肉麻腔调,三番五次 地邀请他到我寄宿的亲戚家中去玩,但他却总是一副发呆的眼神,闷声不响。不过,在一个放学之后的傍晚(我记得是在初夏时节),天上陡然下起了暴雨,学生们 都为如何回家大伤脑筋。因为我的亲戚家离学校很近,所以我正要无所畏惧地往外冲,这时,我看见了竹一。他正满脸颓丧地站在门口木屐箱的后面。“走吧,我把 伞借给你。”我说道,一把拽住怯生生的竹一的手,一起在骤雨飞跑起来。到家以后,我请婶婶替我们俩烘干湿衣服,在此期间我把竹一领到自己二楼的房间里。
          我的这个亲戚家是三口之家,有一个年过五十的婶婶,一个三十岁左右、戴着眼镜、体弱多病的高个子表姐(她曾经出嫁过一次,后来又回到娘家来了。 我也学着这个家里其他人的样子,叫她“阿姐”),和一个最近才从女子学校毕业,名叫雪子的表妹。她和姐姐大不相同,个头很小,长着一张圆脸。楼下的店铺 里,只陈列着少量的文具和运动用品。主要收入似乎来源于过世的主人留下的那五六排房屋的房租。
          “我耳朵可疼呢。”竹一就那么一直站着说话。
          “可能是雨水灌进耳朵才发疼的吧。”
          我一看,只见他的两只耳朵都害了严重的耳漏病,眼看着浓水就要流出耳朵外面了。
          “这怎么行呢?很疼吧?”我有些夸张地露出惊诧的神色,“大雨中把你拽出来,害你落得这个样子,真是对不起你。”
          我用那种近于女人腔的“温柔”语调向他道歉,然后到楼下拿来棉花和酒精,让竹一的头枕在我的膝盖上,体贴入微地给他清理耳朵。就连竹一好像也没有察觉到这是一种伪善的诡计。
          “你呀,肯定会被女人迷恋上的!”竹一头枕着我的膝盖,说了一句愚蠢的奉承话。
          很多年以后我才知道,他的这句话就像是恶魔的预言一样,其可怕程度是竹一也没有意识到的。什么“迷恋”、“被迷恋”这些措辞本身就是粗俗不堪而 又戏弄人的说法,给人一种装腔作势的感觉。无论是多么“严肃”的场合,只要让这些词语抛头露面,忧郁的伽蓝就会顷刻间分崩离析,变得索然无味。但如果不是 使用“被迷恋上的烦恼”之类的俗语,而是使用“被爱的不安”等文学术语,似乎就不至于破坏忧郁的伽蓝了。想来可真是奇妙无比。
          我给竹一揩耳朵里的脓血时,他说了句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,当时,我听了之后,只是满脸通红地笑着,一句话也没有回答,可实 际上我私下里也认为他的话不无道理。然而对于“被迷恋”这样一种粗俗的说法所产生的装腔作势的氛围,我竟然说他说的话不无道理,无异于愚昧地表述自己的感 想,其糊涂程度远远超过相声里的傻少爷,事实上,我是绝对不会以那种戏谑的、装腔作势的心情来“认为他的话不无道理”的、
          在我看来,人世间的女性不知比男性费解多少倍。在我们家,女性数量是男性的好多倍,亲戚家也是女孩子居多。还有前面提到过的那些“犯罪”的女佣 人。我想甚至可以说,我自幼是在女人堆中长大的。尽管如此,我却一直是怀着如履薄冰的心情与女人打交道的。我对她们一无所知,如坠云雾,不时遭受惨痛的失 


          9楼2011-07-04 15:58
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            不过,竹一说的那句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,却没能兑现。总之,我不过是日本东北地区的哈罗德•劳埃德罢了。竹一那句愚蠢的奉承话,作为可憎的预言,活生生地呈现出了不祥的兆头,还是在那以后很多年的事情。
            竹一还赠送给我另一份重大的礼物。
            “这是妖怪的画像呐。”
            曾几何时竹一到我楼上的房间玩,得意洋洋地拿出一张原色版的卷头画给我看,这样说道。
            “哎?!”我大吃一惊。多年后我才清醒地认识到:就是在那一瞬间里,我未来的道路被彻底决定了。我知道,其实那不过是凡高的自画像。在我们少年 时代,所谓法国印象派的绘画正广为流行,大都是从印象派绘画开始学习鉴赏西洋绘画。所以,一提起凡高、高更、塞尚、雷诺阿等人的画,即使是穷乡僻壤的中学 生,也大都见到过照像版。凡高的原色版绘画我也见过不少,对其笔法有兴趣和鲜艳色彩颇感兴趣,但从来没有想过,他的自画像是什么妖怪的画像。
            “这种画又怎么样呢?也像妖怪吗?”
            我从书架上取下莫迪里阿尼的画册,把其中的一幅古铜色肌肤的裸体妇人画像拿给竹一看。
            “这可了不得呀。”竹一瞪圆了眼镜感叹道。
            “就像一匹地狱之马呐。”
            “不,还是像妖怪吧。”
            “我也想画一画这种妖怪呐。”
            对人感到过分恐惧的人,反倒更加迫切地希望用自己的眼睛去看更可怕的妖怪;越是容易对事物感到胆怯的神经质的人,就越是渴望暴风雨降临得更加猛 烈……啊,这一群画家被妖怪所伤害所恫吓,以致于最终相信了幻影,在白昼的自然之中栩栩如生地目睹了妖怪的所在。而且,她们并没有使用“滑稽的逗笑”来掩 饰自身的恐惧,而是致力于原封不动表现自己所见。正如竹一说的,他们勇敢地描绘出“妖怪的自画像”。原来,在这里竟然存在着未来的我的同伴,这使我兴奋得 热泪盈眶。
            “我也要画,画那种妖怪的画像,画那种地狱之马。”我压低嗓音对竹一说道。
            我从小学时代就喜欢上了画画和看画。但我的画不像我写的作文那样受到交口称赞。因为我压根儿就对人类的语言毫不信任,所以作文在我眼里就如同搞 笑的寒暄语一般。尽管我的作文在小学和中学都逗得老师前仰后合,但我自己却并不觉得有趣。只有绘画(漫画等另当别论)让我在如何表现其对象上殚精竭虑,尽 管这种殚思竭虑采用的是我自己的一套独特方式。学校绘画课的画帖实在无聊透顶,而老师的画又拙劣无比,所以我不得不自己来摸索各种各样的表现形式。进入中 学后,我已经拥有了一套油画的画具,尽管我试图从印象派的画风中寻找出绘画技巧的范本,可自己画出来的东西却俨然儿童做手工的彩色印花纸一般呆滞乏味,不 成样子。不过,竹一的一句话启发了我,使我意识倒自己以前对绘画的看法,——竭力想把觉得美的东西原封不动地描绘为美是幼稚和愚蠢乃至完全谬误的。绘画大 师利用主观力量,对那些平淡无奇的东西加以美的创造,虽说他们对丑恶的东西感到恶心呕吐,却并不隐瞒对它们的兴趣,从而沉浸在表现的愉悦中。换言之,他们 丝毫不为别人的看法左右。我从竹一那儿获得了这种画法的原始秘诀。于是,我瞒着那些女性来客,开始着手制作自画像了。
            一幅阴惨的画诞生了,甚至让我自己都大为震惊。可这就是隐匿在内心深处的自己的真实面目。表面上我在快活地欢笑,并引发别人的欢笑,可事实上, 我却背负着如此阴郁的心灵。“又有什么办法呢?”我只好暗自肯定现状。但那幅画除了竹一,我没给任何人看过。我不愿被人看穿自己逗笑背后的凄凉,也不愿别 人突然之间开始小心翼翼地提防起我来,我担心他们甚至没有发现这便是我的本来面目,而依旧视为一种新近发明的搞笑方式,把它当成一大笑料。这是最让我痛苦 


            11楼2011-07-04 15:58
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              私はこれまで、こんな不思议な男の颜を见た事が、やはり、いちども无かった。〔#改页〕
              〔#3字下げ〕第一の手记〔#「第一の手记」は大见出し〕
               耻の多い生涯を送って来ました。 自分には、人间の生活というものが、见当つかないのです。自分は东北の田舎に生れましたので、汽车をはじめて见たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停车场のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが线路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停车场の构内を外国の游戯场みたいに、复雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、设备せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い间そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜《あかぬ》けのした游戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が线路をまたぎ越えるための颇る実利的な阶段に过ぎないのを発见して、にわかに兴が覚めました。 また、自分は子供の顷、絵本で地下鉄道というものを见て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の车に乗るよりは、地下の车に乗ったほうが风がわりで面白い游びだから、とばかり思っていました。 自分は子供の顷から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、挂蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装饰だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人间のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな马鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た时の空腹は全くひどいからな、甘纳豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発挥して、おなかが空いた、と呟いて、甘纳豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。 自分だって、それは勿论《もちろん》、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた记忆は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪华と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、无理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の顷の自分にとって、最も苦痛な时刻は、実に、自分の家の食事の时间でした。 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳《ぜん》を二列に向い合せに并べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの时など、十几人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔|気质《かたぎ》の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪华なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の时刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ运び、押し込み、人间は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な颜をして食べている、これも一种の仪式のようなもので、家族が日に三度々々、时刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を顺序正しく并べ、食べたくなくても无言でごはんを噛《か》みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。 めしを食べなければ死ぬ、という言叶は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか闻えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人间は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言叶ほど自分にとって难解で晦渋《かいじゅう》で、そうして胁迫めいた响きを感じさせる言叶は、无かったのです。 つまり自分には、人间の営みというものが未《いま》だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転辗《てんてん》し、呻吟《しんぎん》し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい时から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地狱の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比较にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には见えるのです。


              16楼2011-07-04 15:58
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                 自分には、祸《わざわ》いのかたまりが十个あって、その中の一个でも、隣人が脊负《せお》ったら、その一个だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性质、程度が、まるで见当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解决できる苦しみ、しかし、それこそ最も强い痛苦で、自分の例の十个の祸いなど、吹っ飞んでしまう程の、凄惨《せいさん》な阿鼻地狱なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自杀もせず、発狂もせず、政党を论じ、绝望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と确信し、いちども自分を疑った事が无いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人间というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快《そうかい》なのかしら、どんな梦を见ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも无いだろう、人间は、めしを食うために生きているのだ、という说は闻いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言叶は、耳にした事が无い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に袭われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会话が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。 そこで考え出したのは、道化でした。 それは、自分の、人间に対する最后の求爱でした。自分は、人间を极度に恐れていながら、それでいて、人间を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一线でわずかに人间につながる事が出来たのでした。おもてでは、绝えず笑颜をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危机一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。 自分は子供の顷から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも见当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。 その顷の、家族たちと一绪にうつした写真などを见ると、他の者たちは皆まじめな颜をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に颜をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一种でした。 また自分は、肉亲たちに何か言われて、口応《くちごた》えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹雳《へきれき》の如く强く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、谓わば万世一系の人间の「真理」とかいうものに违いない、自分にはその真理を行う力が无いのだから、もはや人间と一绪に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い违いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。 それは谁でも、人から非难せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは无いかも知れませんが、自分は怒っている人间の颜に、狮子《しし》よりも鳄《わに》よりも竜よりも、もっとおそろしい动物の本性を见るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの机会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾《しっぽ》でピシッと腹の虻《あぶ》を打ち杀すみたいに、不意に人间のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を见て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦栗《せんりつ》を覚え、この本性もまた人间の生きて行く资格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に绝望を感じるのでした。 人间に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人间としての自分の言动に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩《おうのう》は胸の中の小箱に秘め、その忧郁、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら无邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人间たちは、自分が彼等の所谓「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人间たちの目障りになってはいけない、自分は无だ、风だ、空《そら》だ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。


                17楼2011-07-04 15:58
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                  そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客间に上り込み、今夜の演说会は大成功だったと、しんから嬉しそうな颜をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演说会はどうだったと母に闻かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演说会ほど面白くないものはない、と帰る途々《みちみち》、下男たちが叹き合っていたのです。 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に过ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思议に何の伤もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人间の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特别の兴味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人间をあざむいているのです。自分は、修身教科书的な正义とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに〔#「清く明るく朗らかに」に傍点〕生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人间が难解なのです。人间は、ついに自分にその妙谛《みょうてい》を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人间をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人间の生活と対立してしまって、夜々の地狱のこれほどの苦しみを尝《な》めずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、谁にも诉えなかったのは、人间への不信からではなく、また勿论クリスト主义のためでもなく、人间が、叶蔵という自分に対して信用の壳を固く闭じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって难解なものを、时折、见せる事があったのですから。 そうして、その、谁にも诉えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅《か》ぎ当てられ、后年さまざま、自分がつけ込まれる诱因の一つになったような気もするのです。 つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。〔#改页〕
                  〔#3字下げ〕第二の手记〔#「第二の手记」は大见出し〕
                   海の、波打际、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い树肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩叶《わかば》と共に、青い海を背景にして、その绚烂《けんらん》たる花をひらき、やがて、花吹雪の时には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を镂《ちりば》めて漂い、波に乗せられ再び波打际に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている东北の或る中学校に、自分は受験勉强もろくにしなかったのに、どうやら无事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章《きしょう》にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。 その中学校のすぐ近くに、自分の家と远い亲戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に选んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の钟の鸣るのを闻いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。 生れてはじめて、谓わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な场所のように思われました。それは、自分のお道化もその顷にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解说してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉亲と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の难易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳优にとって、最も演じにくい场所は、故郷の剧场であって、しかも六亲|眷属《けんぞく》全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名优も演技どころでは无くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者《くせもの》が、他郷に出て、万が一にも演じ损ねるなどという事は无いわけでした。 自分の人间恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕动《ぜんどう》していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教师も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言叶では叹じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を张り上げる配属将校をさえ、実に容易に喷き出させる事が出来たのです。 もはや、自分の正体を完全に隠蔽《いんぺい》し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背后から突き刺されました。


                  20楼2011-07-04 15:58
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                    すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、「何か面白い本が无い? 贷してよ」 と言いました。 自分は漱石の「吾辈は猫である」という本を、本棚から选んであげました。「ごちそうさま」 アネサは、耻ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓《みみず》の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした场合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて机嫌を直すという事だけは、幼い时から、自分の経験に依って知っていました。 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に连れて来て、自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ连れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実现では未だ决して无かったのでした。つまり、自分は、日本の东北のハロルド・ロイドに过ぎなかったのです。竹一の无智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った后の事でありました。 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な赠り物をしていました。「お化けの絵だよ」 いつか竹一が、自分の二阶へ游びに来た时、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に见せて、そう说明しました。 おや? と思いました。その瞬间、自分の落ち行く道が决定せられたように、后年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に过ぎないのを知っていました。自分たちの少年の顷には、日本ではフランスの所谓印象派の画が大流行していて、洋画鉴赏の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を见て知っていたのでした。自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん见て、タッチの面白さ、色彩の鲜やかさに兴趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が无かったのでした。「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」 自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤铜のような肌の、れいの裸妇の像を竹一に见せました。「すげえなあ」 竹一は眼を丸くして感叹しました。「地狱の马みたい」「やっぱり、お化けかね」「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」


                    23楼2011-07-04 15:58
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                      这本静子以前买过小说什么的~~~~感觉很不错呢~~~


                      24楼2011-09-03 17:37
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                        当初为了占吧发的OTZ。
                        那时候很迷《人间失格》~


                        25楼2011-09-03 19:27
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