《后日谭》 (エグマリンのその后)
文様の美しい格子に隠されて细やかな表情まではどこからも窥えない。その上すこし烟った匂いが浓雾とともに立ち升っていた。
それをいいことにもう数时间も庭园の离れに居続けている。长い回廊を渡ったところだ。
柄にもないと自嘲して、ぎゅうと目を瞑った。先日、宫中で师の腕に抱き取られたときのことは、いまさらになって耻ずかしい。
そのすぐれた容姿はこの国中でも水际立っているという男に、あのように渇望されては谁しも目をみはるというものだ。
师が常に女官たちに騒がれているのは知っている。ましてや自分とは亲子ということを考えると、これは笑いごとではない。
いや、それ自体はもうよい。
あのとき师を拒んでいたらどうなったかは想像もできないが、それでも结局受け入れると决めたのは自分なのだから、もうよいのだと。ではなぜ受け入れたのかというと、受け入れざるを得ないものが师のまなざしに、言叶の端々に宿っていたからだ。だから気が済むようにしてやらなければいけないと思った。いや、気が済んだら忘れるのかもしれないと思っていた。彼はもう子供ではないが、自分の"子供"ではあるので、亲である自分に求めるものが子供めいたものでも仕方ないと。だが、この结果はどうしたことだろうか。师は、袖や帯がまつわり诸肌脱ぎのように中途半端にされた自分のからだをすみずみまでいとおしんでいたが、それは绝顶の寸前にあっても同じだった。
自分ひとりが泣きわめいているようなものだったと思う。
寝台の端や师の服の袖をしきりに掴んだり、头を横に振って下肢から背筋を上る気持ちよさをやり过ごしたりと、师の所作に比べたらどちらが子供かわからなかった。ただ、梦をみるな、とはきつく云ったので、少なくとも自分を手に入れたなどと有顶天になることもないだろう。いまもこの先も。
たったひとつ思い知ったことを挙げるとすれば、师は本当に自分に恋慕していたということだ。
そして自分もあのひとときとはいえ、真実溺れていた。あれ以来、师と自分はわりと普通に话している。昭とも変わりはない。梦など互いにみていないと、この自分を安らかにさせる点において、さすがに闻き分けがいい。この仮面がひび割れてはいけないと思う。陈腐でつまらぬなどと考えるわけがない。
脳裏にだけは焼きついている梦のような一时を払うように、小さくかぶりを振った。空気はひどく张りつめ、澄みきっているというようなやさしさはなく、肌に痛いほど冷めた朝だった。云间から阳が射すこともないので、格子窓はぬれている。そこに指を挂けようとすると、后ろから形の良い手が伸びてきた。上からそっと重ねられたそれに惊いて振り向くと、目をすっと眇めた司马师が立っていた。「一人でどこに行ってしまわれたと思えば、すっかり冷たくなられて」
「わ、私は一人になりたいのだ」ふむ、と考えるしぐさを形だけ取って、すぐに师はその美しい颜にうっすらと微笑を乗せる。「私のことを考えていたのですか?父上」この上なく非凡な智谋を持つ方なのに存外わかりやすいものだと、どこか机嫌よく笑む师を思わず睨んだ。
けれど握り込まれた指は余计にからんでいく。振り払おうとしたが叶わなかった上、师はそれに伤つくような质でもない。
それでもふっと笑みを消して、ふれてもよろしいでしょうか、とあえて讯けば、司马懿は呆れはてて首を横に振る。「梦はあれきりにするのではなかったのか」
「私にとっての梦とはあなたからの情爱でした。お约束に従ってそれは望みません。ですがそれ以外は梦ではない。现にこうして父上の手にふれている」「わからぬ。お前はその梦とやらをあきらめてまで、私をああしたかったのか…?」ほんのすこしだけ指を握り返すと、ぎゅうと抱きしめられた。あのときとまったく同じ抱拥に苦しくなる。谁かに好かれたことはあっても、まさか肉亲にこのようなたぐいの情を寄せられたことなどなかったから、そもそも普通はこのような事例はないからなのだと思いたかった。
だが、自分にそれほどの思いを悬ける师の告白をなかったことにするとしたら、师は、自分はどうなってしまうのだろう。
それでもいいと师は思っている、ということなのだろうか。
物思いの海に沈んでいると、冠を载せていなかった头の后ろを引き寄せられて、司马懿の思考は砂のように崩れていった。「父上、お慕いしております」それはもう闻いたと、云えなかった。
せめてもの抵抗に师の肩に爪をたてた。何度も云わないでほしいと思う理由が、もう情爱以外の何物でもなかったことに柳眉を寄せる。
それでも。
私からの爱执を望んでいないというなら、そんなことを云わなければいいのに
fin.
于是以上原文。