日文版《源氏物语》第五篇《紫儿》
若紫(わかむらさき)
春の野のうらわか草に亲しみていとおほどかに恋もなりぬる
晶子
源氏は疟病(わらわやみ)にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持(かじ)も受けていたが効験(ききめ)がなくて、この病の特徴で発作(ほっさ)的にたびたび起ってくるのをある人が、
「北山の某(なにがし)という寺に、ひじょうにじょうずな修験僧(しゅげんそう)がおります、去年の夏、この病気がはやりましたときなど、まじないもききめがなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと愈(なお)りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
こんなことをいって勧(すす)めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
「老体になっておりまして、岩窟(いわや)を一歩出ることもむつかしいのですから」
僧の返辞はこんなだった。
「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
こういっていた源氏は、亲しい家司(けいし)四五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや远い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を进んで行くにしたがって、渓々(たにだに)をこめた霞(かすみ)にも都の霞にない美があった。きゅうくつな境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何ごともみな珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を负った巌窟(がんくつ)の中に圣人(しょうにん)ははいっていた。
若紫(わかむらさき)
春の野のうらわか草に亲しみていとおほどかに恋もなりぬる
晶子
源氏は疟病(わらわやみ)にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持(かじ)も受けていたが効験(ききめ)がなくて、この病の特徴で発作(ほっさ)的にたびたび起ってくるのをある人が、
「北山の某(なにがし)という寺に、ひじょうにじょうずな修験僧(しゅげんそう)がおります、去年の夏、この病気がはやりましたときなど、まじないもききめがなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと愈(なお)りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
こんなことをいって勧(すす)めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
「老体になっておりまして、岩窟(いわや)を一歩出ることもむつかしいのですから」
僧の返辞はこんなだった。
「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
こういっていた源氏は、亲しい家司(けいし)四五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや远い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を进んで行くにしたがって、渓々(たにだに)をこめた霞(かすみ)にも都の霞にない美があった。きゅうくつな境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何ごともみな珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を负った巌窟(がんくつ)の中に圣人(しょうにん)ははいっていた。