紫式部吧 关注:362贴子:1,947

日文版《源氏物语》第五篇《紫儿》

只看楼主收藏回复

日文版《源氏物语》第五篇《紫儿》  

若紫(わかむらさき)  


春の野のうらわか草に亲しみていとおほどかに恋もなりぬる  
晶子  

 源氏は疟病(わらわやみ)にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持(かじ)も受けていたが効験(ききめ)がなくて、この病の特徴で発作(ほっさ)的にたびたび起ってくるのをある人が、  
「北山の某(なにがし)という寺に、ひじょうにじょうずな修験僧(しゅげんそう)がおります、去年の夏、この病気がはやりましたときなど、まじないもききめがなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと愈(なお)りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」  
 こんなことをいって勧(すす)めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。  
「老体になっておりまして、岩窟(いわや)を一歩出ることもむつかしいのですから」  
 僧の返辞はこんなだった。  
「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」  
 こういっていた源氏は、亲しい家司(けいし)四五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや远い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を进んで行くにしたがって、渓々(たにだに)をこめた霞(かすみ)にも都の霞にない美があった。きゅうくつな境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何ごともみな珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を负った巌窟(がんくつ)の中に圣人(しょうにん)ははいっていた。 


IP属地:北京1楼2008-05-03 19:06回复
     源氏は、自身のだれであるかをいわず、服装をはじめ思いきって简単にして来ているのであるが、迎えた僧はいった。 
    「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう、もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の术を忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」 
     惊きながらも笑(えみ)を含んで源氏を见ていた。ひじょうに伟い僧なのである。源氏を形どった物を作って、疟病(わらわやみ)をそれに移す祈祷(きとう)をした。加持などをしている时分には、もう日が高くあがっていた。 
     源氏は、その寺を出てすこしの散歩を试みた。その辺をながめると、ここは高いところであったから、そこここに构(かま)えられた多くの僧坊が见渡されるのである。螺旋(らせん)状になった路(みち)のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣(しばがき)ではあるが、目立ってきれいにめぐらされていて、よい座敷ふうの建物と廊とが优美に组み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝(こ)った一构(ひとかま)えがあった。 
    「あれはだれの住んでいるところなのかね」 
    と源氏が问うた。 
    「これが、某僧都(そうず)がもう二年ほど引(ひ)き笼(こも)っておられる坊でございます」 
    「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね、あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁(ていさい)で来ていて」 
    などと源氏はいった。美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て、仏の阏伽棚(あかだな)に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく见えた。 
    「あすこの家に女がおりますよ、あの僧都がよもや隠妻(かくしづま)を置いてはいらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」 
     こんなことを従者がいった。崖(がけ)をすこしおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら召使いの童女やらが见えるといった。 
     源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら、昼になるともう発作が起るころであるがと不安だった。 
    「気をおまぎらわしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」 
    などと人がいうので、うしろの方の山へ出て今度は京の方をながめた。ずっと远くまで霞(かす)んでいて、山の近い木立(こだち)などは淡(あわ)くけむって见えた。 
    「絵によく似ている。こんなところに住めば、人间のきたない感情などは起しようがないだろう」 
    と源氏がいうと、 
    「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の风景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得(え)になるところがあって、絵がずいぶんご上达なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」 
     こんな话をする者があった。また西の方の国々のすぐれた风景をいって、浦々の名をたくさん并べ立てるものもあったりして、だれもみな病への関心から源氏を放そうとつとめているのである。 
    「近いところでは播磨(はりま)の明石(あかし)の浦がよろしゅうございます。特别に変ったよさはありませんが、ただそこから海の方をながめた景色がどこよりもよくまとまっております。前播磨守入道(さきのはりまのかみにゅうどう)が、だいじな娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変り者で仲间の交际なんかをもきらって、近卫(このえ)の中将を舍てて自分から愿って出てなった播磨守なんですが、国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないといって、そのときに入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山の方へでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を构えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変り者をてらってそうするかというとそれにもわけはあるのです。若い妻子が寂(さび)しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味で、ずいぶん赘沢(ぜいたく)に住居なども作ってございます。先日、父のところへ参りました节、どんなふうにしているかも见たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、なんといっても地方长官をしていますうちに财产ができていたのですから、生涯の生活にことを欠かない准备はじゅうぶんにしておいて、そして一方では仏弟子(でし)として感心に修行も积んでいるようです。あの人だけは入道してから真価があらわれた人のように见受けます」 
    「その娘というのはどんな娘」 
    「まず无难な人らしゅうございます。あの后の代々の长官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道はけっして承知いたしません。自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたい、という理想をもっている。自分が死んで実现が困难になり、自分の希望しない结婚でもしなければならなくなったときには、海へ身を投げてしまえと遗言をしているそうです」


    IP属地:北京2楼2008-05-03 19:07
    回复
      人(くらんど)をしていたが、位が一阶あがって役から离れた男である。ほかの者は、「好


      IP属地:北京3楼2008-05-03 19:07
      回复
        色な男なのだから、その入


        IP属地:北京4楼2008-05-03 19:07
        回复


          IP属地:北京5楼2008-05-03 19:07
          回复
            の遗言を破りうる自信をもっているのだろう


            IP属地:北京6楼2008-05-03 19:08
            回复
              それでよく访问に行ったりするのだよ」ともいっていた


              IP属地:北京7楼2008-05-03 19:08
              回复
                「あなたはまあいつまでも子どもらしくて困った方ね。私の命がもう今日明日かと思われるのに、それはなんとも思わないで、雀の方が惜しいのだね。雀を笼(かご)に入れておいたりすることは、仏様のお喜びにならないことだ、と私はいつもいっているのに」 
                と尼君はいって、また、 
                「ここへ」 
                というと、美しい子は下へすわった。颜つきがひじょうにかわいくて、眉(まゆ)のほのかに伸びたところ、子どもらしく自然に髪が横抚(な)でになっている额(ひたい)にも髪の性质にも、すぐれた美がひそんでいると见えた。おとなになったときを想像して、すばらしい佳人(かじん)の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壶(ふじつぼ)の宫によく似ているからである、と気がついた刹那(せつな)にも、その人への思慕の涙が热く頬(ほお)を伝わった。尼君は女の子の髪を抚でながら、 
                「梳(す)かせるのもうるさがるけれど、よい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子どもらしいことで私は心配している。あなたの年になれば、もうこんなふうでない人もあるのに、亡(な)くなったお姫さんは十二でお父様に别れたのだけれど、もうそのときには、悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとで、あなたはどうなるのだろう」 
                 あまりに泣くので、すき见をしている源氏までも悲しくなった。子ども心にも、さすがにじっとしばらく尼君の颜をながめ入って、それからうつむいた。そのときに额からこぼれかかった髪がつやつやと美しく见えた。 
                  生(お)ひ立たんありかも知らぬ若草を 
                    おくらす露ぞ消えんそらなき 
                 一人の中年の女房が感动したふうで泣きながら、 
                  初草の生(お)ひ行く末も知らぬまに 
                    いかでか露の消えんとすらん 
                といった。このときに僧都(そうず)が向こうの座敷の方から来た。 
                「このお座敷はあまり开けひろげすぎています。今日に限って、こんなに端の方においでになったのですね。山の上の圣人のところへ、源氏の中将が疟病(わらわやみ)のまじないにおいでになった、という话を今はじめて闻いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら、今まで伺候もしませんでした」 
                と僧都はいった。 
                「たいへん、こんなところをだれかご一行の人がのぞいたかもしれない」 
                 尼君のこういうのが闻えて御帘(みす)はおろされた。 
                「世间で评判の源氏の君のお颜を、こんな机会に见せていただいたらどうですか、人间生活と绝縁している私らのような僧でも、あの方のお颜を拝见すると、世の中の叹かわしいことなどはみな忘れることができて、长生きのできる気のするほどの美貌(びぼう)ですよ。私はこれからまず手纸でご挨拶(あいさつ)をすることにしましょう」 
                 僧都がこの座敷を出て行く気配がするので、源氏も山上の寺へ帰った。源氏は思った、自分は可怜な人を発见することができた、だから自分といっしょに来ている若い连中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収获(しゅうかく)を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて会いがたい人の恋しさが慰められるものなら、ぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。 
                 寺でみなが寝床についていると、僧都の弟子が访问して来て、惟光に会いたいと申し入れた。狭い场所であったから、惟光へいうことが源氏にもよく闻えた。 
                「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐにうかがうべきでございますが、私がこの山におりますことをご承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、なにかお気に入らないことがあるかとご远虑をする心もございます。ご宿泊の设けもゆきとどきませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」 
                というのが使いの伝える僧都の挨拶だった。 
                「今月の十几日ごろから私は疟病にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧(すす)めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験(ききめ)が见えませんでしたときには、一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも后刻うかがうつもりです」 
                と源氏は惟光にいわせた。それからまもなく僧都が访问して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが、贵族出のこの人に、軽い旅装で会うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山笼(ごも)りの生活を僧都は语ってから、 
                「僧の家というものは、どうせみな寂しい贫弱なものですが、ここよりはすこしきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」 
                 僧都は源氏の来宿を乞(こ)うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちに、たいそうな颜の吹聴(ふいちょう)などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心をひいた少女のこともくわしく知りたいと思って、源氏は僧都の坊へ移って行った。主人の言叶どおりに庭の作り一つをいっても、ここは优美な山荘であった。月はないころであったから、流れのほとりに篝(かがり)を焚(た)かせ、灯笼(とうろう)を吊(つ)らせなどしてある。南向きの室を美しく装饰して、源氏の寝室ができていた。奥の座敷からもれてくる薫香(くんこう)の匂いと、仏前に焚かれる名香の香が入りまじってただよっている山荘に、新しく源氏の追风が加わったこの夜を、女たちも晴れがましく思った。


                IP属地:北京8楼2008-05-03 19:08
                回复
                   僧都は人生の无常さと来世のたのもしさを源氏に说いて闻かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罚の大きさを思うと、そうした常ない人生から远ざかった、こんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に见た小さい贵女が心にかかって、恋しい源氏であった。 
                  「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁(いんねん)のあるというような梦を私は前に见たのですが、なんだか今日こちらへうかがって谜(なぞ)の糸口を得た気がします」 
                  と源氏がいうと、 
                  「突然な梦のお话ですね。それがだれであるかをお闻きになっても、兴がおさめになるだけでございましょう。前の按察使(あぜち)大纳言は、もうずっと早く亡(な)くなったのでございますから、ごぞんじはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山に笼(こも)ったきりになっているので心细がってこちらへ来ているのです」 
                   僧都の答えはこうだった。 
                  「その大纳言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色からうかがうのじゃありません。まじめにお寻(たず)ね申しあげるのです」 
                   少女は大纳言の遗子であろうと想像して源氏がいうと、 
                  「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大纳言は宫中へ入れたいように申して、ひじょうにだいじにして育てていたのですが、そのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿(ひょうぶきょう)の宫が通っていらっしゃるようになりまして、それを宫のご本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくおいいになって、私の侄(めい)はそんなことからいろいろ苦労が多くて、もの思いばかりをしたあげく亡くなりました。もの思いで病気が出るものであることを、私は侄を见てよくわかりました」 
                  などと僧都は语った。それでは、あの少女は昔の按察使大纳言の姫君と、兵部卿の宫のあいだにできた子であるにちがいない、と源氏は悟ったのである。藤壶の宫の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うと、いっそう心のひかれるのを覚えた。身分もきわめてよいのがうれしい、爱する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、无邪気な子どもを、自分が未来の妻として教养を与えていくことは楽しいことであろう、それをただちに実行したいという心に源氏はなった。 
                  「お気の毒なお话ですね。その方には忘れ形见(がたみ)がなかったのですか」 
                   なお明确に少女のだれであるかを知ろうとして、源氏はいうのである。 
                  「亡くなりますころに生れました。それも女です。その子どもが姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年をとってから、一人の孙娘の将来ばかりを心配して暮しております」 
                   闻いている话に、夕方见た尼君の涙を源氏は思い合せた。 
                  「妙なことをいいだすようですが、私にその小さいお嬢さんを、托(たく)していただけないかとお话ししてくださいませんか。 
                  私は妻について一つの理想がありまして、ただいま结婚はしていますが、普通の夫妇生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮し方ばかりをしているのです。まだ年が钓(つ)り合わぬなどと常识的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召すでしょうか」 
                  と源氏はいった。 
                  「それはひじょうにけっこうなことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、かりにもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは、良人(おっと)のよい指导を得て一人前になるものなのですから、あながち早すぎるお话ともなんとも私は申されません。子どもの祖母と相谈をいたしましてお返辞をするといたしましょう」 
                   こんなふうにてきぱきいう人が僧形(そうぎょう)のいかめしい人であるだけ、若い源氏にははずかしくて、望んでいることをなおつづけていうことができなかった。「阿弥陀(あみだ)様がいらっしゃる堂で、用事のある时刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。すませまして、また」 
                   こういって僧都は御堂の方へ行った。


                  IP属地:北京9楼2008-05-03 19:08
                  回复
                     病后の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り、ひややかな山风が吹いて、そのころから滝の音も强くなったように闻かれた。そして、やや眠そうな読経の声が绝え绝えに响いてくる、こうした山の夜はどんな人にももの悲しく寂(さび)しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。初夜だといったが実际はその时刻よりも更(ふ)けていた。奥の方の室にいる人たちも起きたままでいるのが気配で知れていた。静かにしようと気をくばっているらしいが、数珠(じゅず)が脇息(きょうそく)に触れて鸣る音などがして、女の起居(たちい)の衣摺(きぬず)れもほのかになつかしい音に耳へかよってくる。贵族的なよい感じである。 
                     源氏はすぐ隣の室でもあったから、この座敷の奥に立ててある二つの屏风(びょうぶ)の合せ目をすこし引きあけて、人を呼ぶために扇を鸣らした。先方は意外に思ったらしいが、无视しているように思わせたくないと思って、一人の女がいざり寄って来た。袄子(からかみ)からすこし远いところで、 
                    「ふしぎなこと、闻き违えかしら」 
                    というのを闻いて、源氏が、 
                    「仏の导いてくださる道は、暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」 
                    という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、 
                    「なんのお导きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」 
                    といった。 
                    「突然ものをいいかけまして、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、 
                      初草の若叶の上を见つるより 
                        旅寝の袖(そで)も露ぞ乾かぬ 
                    と申しあげてくださいませんか」 
                    「そのようなお言叶をちょうだいあそばす方がいらっしゃらないことは、ごぞんじのようですが、どなたに」 
                    「そう申しあげるわけがあるのだ、とお思いになってください」 
                     源氏がこういうので、女房は奥へ行ってそういった。 
                     まあ艶(えん)な方らしいご挨拶である。女王さんがもうすこしおとなになっているように、お客様は勘违いをしていられるのではないか、それにしても、若草にたとえた言叶がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは见苦しいと思って、 
                      「枕结(まくらゆ)ふ今宵(こよい)ばかりの露けさを 
                        深山(みやま)の苔(こけ)にくらべざらなん 
                     とても乾く间などはございませんのに」 
                    と返辞をさせた。 
                    「こんなおとりつぎによっての会谈は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらでごやっかいになりましたのを机会に、まじめにご相谈のしたいことがございます」 
                    と源氏がいう。 
                    「何をまちがえて闻いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものをいうような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」 
                     尼君はこういっていた。 
                    「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」 
                    といって、人々は尼君の出るのをすすめた。 
                    「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。ていねいにいっていらっしゃるのだから」 
                     尼君は出て行った。 
                    「でき心的な軽率な相谈をもちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんなときに申しあげるのは私のために不利なんですが、诚意をもってお话しいたそうとしておりますことは、仏様がごぞんじでしょう」 
                    と源氏はいったが、相当な年配の贵女が静かに前にいることを思うと、急に希望の件がもちだされないのである。 
                    「思いがけぬところで、お泊り合せになりました、あなた様からご相谈事をうけたまわりますのを前生(ぜんしょう)に根をおいていないことと、どうして思えましょう」 
                    と尼君はいった。 
                    「お母様をお亡(な)くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様のかわりとして私へお预けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に别れたものですから、私もじっとおちついた気もちもなく今日にいたりました。女王さんも同じようなご境遇なんですから、私たちが将来结婚することを今からゆるしておいていただきたいと、私はこんなことを前からご相谈したかったので、今は悪くおとりになるかもしれないときである、折がよろしくないと思いながら申しあげてみます」 
                    「それはひじょうにうれしいお话でございますが、何か话をまちがえて闻いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申しあげてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子どもが一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお拟(ぎ)しになることはむりでございますから、私の方でご相谈に乗せていただきようもございません」 
                    と尼君はいうのである。 
                    「私は何もかもぞんじております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという热心の度をごらんください」 
                     源氏がこんなにいっても、尼君の方では女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入见があって、源氏の希望を问题にしようとはしない。僧都が源氏の部屋の方へ来るらしいのを机会に、 
                    「まあよろしいです。ご相谈にもうとりかかったのですから、私は実现を期します」 
                    といって、源氏は屏风(びょうぶ)をもとのようになおして去った。もう明け方になっていた。法华(ほっけ)の三味(さんまい)をおこなう堂の尊い忏法(せんぽう)の声が山おろしの音にまじり、滝がそれらと和する响きをつくっているのである。 
                      吹き迷ふ深山(みやま)おろしに梦さめて 
                        涙催す滝の音かな 
                     これは源氏の作。 
                      「さしぐみに袖濡(ぬ)らしける山水に 
                        すめる心は騒ぎやはする 
                     もう惯れきったものですよ」 
                    と僧都は答えた。


                    IP属地:北京10楼2008-05-03 19:09
                    回复
                       夜明けの空はじゅうにぶんに霞(かす)んで、山の鸟声がどこで鸣くとなしに多く闻えて来た。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き、多く地に散っていた。こんな深山の锦(にしき)の上へ鹿(しか)が出てきたりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。圣人は动くことも容易でない老体であったが、源氏のために、僧都の坊へ来て护身の法をおこなったりしていた。嗄々(かれがれ)な、ところどころが消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀罗尼(だらに)である。 
                       京から源氏の迎えの一行が山へついて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のみ使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を种々(くさぐさ)つくらせ、渓间(たにま)へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して、飨応(きょうおう)に骨を折った。 
                      「まだ今年じゅうは山笼(やまごも)りのお誓いがしてあって、お帰りのさいに京までお送りしたいのができませんから、かえってご访问が恨めしく思われるかもしれません」 
                      などといいながら僧都は源氏に酒をすすめた。 
                      「山の风景にじゅうぶん爱着を感じているのですが、陛下にご心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう。 
                        宫人(みやびと)に行きて语らん山ざくら 
                          风より先きに来ても见るべく」 
                       歌の発声も态度もみごとな源氏であった。僧都が、 
                        优昙华(うどんげ)の花まち得たるここちして 
                          深山桜に目こそ移らね 
                      というと源氏は微笑しながら、 
                      「长いあいだに、まれに一度咲くという花はごらんになることが困难でしょう。私とは违います」 
                      といっていた。巌窟(がんくつ)の圣人は酒杯(さかずき)を得て、 
                        奥山の松の戸ぼそを稀(まれ)に开(あ)けて 
                          まだ见ぬ花の颜を见るかな 
                      といって泣きながら源氏をながめていた。圣人は源氏を护(まも)る法のこめられてある独钴(どっこ)を献上した。それを见て、僧都は圣徳太子(しょうとくたいし)が百済(くだら)の国からお得になった金刚子(こんごうし)の数珠(じゅず)に宝玉の饰りのついたのを、その当时のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで、薄物の袋に包んだのを、五叶(ごよう)の木の枝につけた物と、绀瑠璃(こんるり)などの宝石の壶へ薬を诘めた、几个かを藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の赠物らしいものを出した。源氏は巌窟の圣人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施(ふせ)の品々、料理の诘合せなどを京へとりにやってあったので、それらが届いたとき、山の仕事をする下级労働者までがみな相当な赠物を受けたのである。なお僧都の堂で诵経(ずきょう)をしてもらうための寄进もして、山を源氏の立って行く前に、僧都は姉のところに行って源氏からたのまれた话をとりつぎしたが、 
                      「今のところではなんともお返辞の申しようがありません。ご縁がもしもありましたなら、もう四五年して改めておっしゃってくだすったら」 
                      と尼君はいうだけだった。源氏は前夜闻いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて、自身の気もちの理解されないことを叹いた。手纸を僧都の召使いの小童にもたせてやった。 
                        夕まぐれ仄(ほの)かに花の色を见て 
                          今朝(けさ)は霞の立ちぞわづらふ 
                       という歌である。返歌は、 
                        まことにや花の辺(あた)りは立ち忧(う)きと 
                          霞(かす)むる空のけしきをも见ん 
                       こうだった。贵女らしい品のよい手で饰り気(け)なしに书いてあった。


                      IP属地:北京11楼2008-05-03 19:09
                      回复
                         ちょうど源氏が车に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司(けいし)の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。头(とうの)中将、左中弁(さちゅうべん)、またそのほかの公达(きんだち)もいっしょに来たのである。 
                        「こうしたご旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」 
                        などと恨んで、 
                        「美しい花の下で游ぶ时间がゆるされないで、すぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」 
                        ともいっていた。岩の横の青い苔(こけ)の上に新しく来た公达は并んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある场所だった。头中将は懐(ふところ)に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子(おうぎびょうし)をとって、「葛城(かつらぎ)の寺の前なるや、豊浦(とよら)の寺の西なるや」という歌をうたっていた。この人たちはけっして平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へ寄りかかっている源氏の美にくらべて、よい人はだれもなかった。いつも筚篥(ひちりき)を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙(しょう)の笛をもちこんで来た风流好きもあった。僧都が自身で琴(きん)(七弦の唐风の楽器)を运んで来て、 
                        「これをただちょっとだけでもお弾(ひ)きくだすって、それによって、山の鸟に音楽のなんであるかを知らせてやっていただきたい」 
                         こう热望するので、 
                        「私はまだ病気に疲れていますが」 
                        といいながらも、源氏が快くすこしひいたのを最后として、みな帰って行った。なごり惜しく思って、山の僧俗はみな涙をこぼした。家の中では、年をとった尼君主従がまだ源氏のような人に出会ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音(ね)をも现実の世のものでないと评し合った。僧都も、 
                        「なんの约束事で、こんな末世にお生れになって、人としてのうるさい束缚や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると、悲しくてならない」 
                        と源氏の君のことをいって涙をぬぐっていた。兵部卿の宫の姫君は、子ども心に美しい人であると思って、 
                        「宫様よりもごようすがごりっぱね」 
                        などとほめていた。 
                        「ではあの方のお子様におなりなさいまし」 
                        と女房がいうとうなずいて、そうなってもよいと思う颜をしていた。それからは、人形游びをしても、絵を描いても、源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せてだいじがった。


                        IP属地:北京12楼2008-05-03 19:09
                        回复
                           帰京した源氏はすぐに宫中へあがって病中の话をいろいろと申しあげた。ずいぶん痩(や)せてしまったと仰せられて、帝(みかど)はそれをお気におかけあそばされた。圣人の尊敬すべき祈祷力などについてのご下问(かもん)もあったのである。くわしく申しあげると、 
                          「阿闍梨(あじゃり)にもなっていいだけの资格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方できた人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」 
                          と敬意を表しておいでになった。左大臣も御所に来合せていて、 
                          「私もお迎えに参りたく思ったのですが、ご微行(びこう)のときには、かえってご迷惑かとも思いまして远虑をしました。しかし、まだ一日二日は静かにお休みになる方がよろしいでしょう」 
                          といって、また、 
                          「ここからのお送りは私がいたしましょう」 
                          ともいったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。自分の车へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさから、これほどまでに诚意を见せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の亲心なるものに源氏は感动せずにはいられなかった。 
                           こちらへ退出してくることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行ってみなかった源氏の目に、美しいこの家がさらにみがきあげられた気もした。源氏の夫人は、例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵に描いた何かの姫君というようにきれいに饰り立てられていて、身动きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の话をするとすれば、すぐに同感をあらわしてくれるような人であれば、情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞耻(しゅうち)と同じものを见せて、同栖の歳月は重なってもこの倾向がますます目立ってくるばかりであると思うと苦しくて、 
                          「时々は普通の夫妇らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは问うてくだすっていいのに、あなたは问わない。今はじめてのことではないが、私としては恨めしいことですよ」 
                          といった。 
                          「问われないのは恨めしいものでしょうか」 
                          こういって横に源氏の方を见た目つきははずかしそうで、そして気高い美が颜にそなわっていた。 
                          「たまにいってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。访(と)うて行かぬなどという间柄は、私たちのような神圣な夫妇の间柄とは违うのですよ。そんなことといっしょにしていうものじゃありません。时がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑(けいべつ)するようになるから、こうすればあなたの心もちがなおるか、そうしたらききめがあるだろうか、と私はいろんな试みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。长い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」 
                          といって源氏は寝室の方へはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝をうながしてみても闻かぬ人をおいて、叹息をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を动かすことに、そう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただ、くたびれていて眠いというふうを见せながらも、いろいろなもの思いをしていた。若草と祖母に歌われていた兵部卿の宫の小王女の登场する未来の舞台がしきりに思われる。年の不钓合いから、先方の人たちが自分の提议を问题にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは积极的には出られない。しかしなんらかの手段で自邸へ入れて、あの爱らしい人をもの思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宫は、上品な艶(えん)なお颜ではあるが、はなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母君にそっくりなように见えたのだろう、宫と藤壶の宫とは同じお后からお生れになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実现させないではならないものである、と源氏は思った。


                          IP属地:北京13楼2008-05-03 19:09
                          回复
                             源氏は翌日北山へ手纸を送った。僧都へ书いたものにも女王の问题をほのめかしておかれたに违いない。尼君のには、 
                             问题にしてくださいませんでしたあなた様に気おくれがいたしまして、思っておりますこともことごとくは言叶に表わせませんでした。こう申しますだけでも、なみなみでない执心のほどをおくみとりくださいましたらうれしいでしょう。 
                            などと书いてあった。别に小さく结んだ手纸が入れてあって、 
                              面かげは身をも离れず山ざくら 
                                心の限りとめてこしかど 
                             どんな风が、私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです。 
                             内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは别として、老人(としより)たちは手纸の包み方などにさえ感心していた。困ってしまう。こんな问题はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。 
                             あのときのお话は、远い未来のことでございましたから、ただいまなんとも申しあげませんでもとぞんじておりましたのに、またお手纸で仰せになりましたので恐缩いたしております。まだ手习(てなら)いの难波津(なにわづ)の歌さえもつづけて书けない子どもでございますから、失礼をおゆるしくださいませ、それにいたしましても、 
                              岚(あらし)吹く尾上(おのえ)のさくら散らぬ间(ま)を 
                                心とめける程のはかなさ 
                            こちらこそたよりない気がいたします。 
                            というのが尼君からの返事である。僧都の手纸に记されたことも同じようであったから、源氏は残念に思って二三日たってから惟光を北山へやろうとした。 
                            「少纳言の乳母(めのと)という人がいるはずだから、その人に会ってくわしく私の方の心もちを伝えてきてくれ」 
                            などと源氏は命じた。どんな女性にも関心をもつ方だ。姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から见たのではないが、自身がいっしょにすき见をしたときのことを思ってみたりもしていた。 
                             今度は五位の男を使いにして手纸をもらったことに僧都は恐缩していた。惟光は少纳言に面会を申し込んで会った。源氏の望んでいることをくわしく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを语った。多弁な惟光は相手を说得する心でじょうずにいろいろ话したが、僧都も尼君も少纳言も、稚(おさな)い女王への结婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。手纸の方にもねんごろに申し入れが书かれてあって、 
                             一つずつ离してお书きになる姫君のお字を、ぜひ私に见せていただきたい。 
                            ともあった。例の中に封じた方の手纸には、 
                              浅香山浅くも人を思はぬに 
                                など山の井のかけ离るらん 
                             この歌が书いてある。返事、 
                              汲(く)み初(そ)めてくやしと闻きし山の井の 
                                浅きながらや影を见すべき 
                             尼君が书いたのである。惟光が闻いて来たのもその程度の返辞であった。 
                            「尼様のご容体(ようだい)がすこしおよろしくなりましたら京のお邸(やしき)へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申しあげることにいたします」 
                            といっていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。


                            IP属地:北京14楼2008-05-03 19:10
                            回复
                               初秋の七月になって、宫は御所へおはいりになった。最爱の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます深く藤壶の宫にそそがれるばかりであった。すこしお腹がふっくりとなって、悪阻(つわり)の悩みに颜のすこしお痩せになった宫のお美しさは、前よりもましたのではないかと见えた。以前もそうであったように、帝は明け暮れ藤壶にばかり来ておいでになって、もう音楽の游びをするのにも适した季节にもなっていたから、源氏の中将をもしじゅうそこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。もの思わしさを源氏は极力おさえていたが、时々には忍びがたいようすもうかがわれるのを、宫もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの忧(うれ)わしさをお覚えになった。 
                               北山へ养生に行っていた按察使(あぜち)大纳言の未亡人は、病がよくなって京へ帰って来ていた。源氏は惟光などに京の家をたずねさせて时々手纸などを送っていた。先方の态度も、春も今も変ったところがないのである。それも道理に思えることであったし、またこの数月间というものは、过去の几年间にもまさった恋の烦闷が源氏にあって、他のことは何一つ热心にしようとは思われないのでもあったりして、より以上积极性をおびていくようでもなかった。 
                               秋の末になって、恋する源氏は心细さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜に、ある女のところをたずねる気にやっとなった源氏が出かけようとすると、さっと时雨(しぐれ)がした。源氏の行くところは六条の京极(きょうごく)辺であったから、御所から出て来たのではやや远い気がする。荒れた家の庭の木立(こだち)が、大家(たいけ)らしく深いその土塀(どべい)の外を通るときに、例の傍去(そばさ)らずの惟光がいった。 
                              「これが前の按察使大纳言の家でございます。先日、ちょっとこの近くへ来ましたときに寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶がありました」 
                              「気の毒だね。见舞いに行くのだった。なぜそのときにそういってくれなかったのだ。ちょっと私が访问に来たがといってやれ」


                              IP属地:北京16楼2008-05-03 19:10
                              回复