日記
四月三十日 土曜日 愚付く
南方の家へ来てから,枯死してしまいそうな桃の木が二本いるのを見た。昨年、家に私が行きしなに木はまた上出来になりつつあるよ。だが今、どうしてこの结果が出るはずであったか。見るのはすこしも生気がない木偶であったが,まさか其れたちは皆平に從って去ってしまおうか。其れたちは私が相伴する気にはなれなくて喜んでほかの世界へ平が相伴してしまいに行くのである、ああ,行くべきであるのは皆行ったが,私しか天地の間に独り步きしつつあらない。時として私は、この二本の桃の木が果実を结ぶ時で私の目を喜ぶことができ、且つまた私目の心殘であって去ってしまうからには,私目にある一つの心殘りを減ってしまい,即ち豈に目にある一つの荷を減ってしまわないかと思いつつあることがある。
すると,やるせない気持に憂さ晴らしを得させてしまうような気がする私は、また正常な状態に入り始めた。
(合主用日記集から)
四月三十日 土曜日 愚付く
南方の家へ来てから,枯死してしまいそうな桃の木が二本いるのを見た。昨年、家に私が行きしなに木はまた上出来になりつつあるよ。だが今、どうしてこの结果が出るはずであったか。見るのはすこしも生気がない木偶であったが,まさか其れたちは皆平に從って去ってしまおうか。其れたちは私が相伴する気にはなれなくて喜んでほかの世界へ平が相伴してしまいに行くのである、ああ,行くべきであるのは皆行ったが,私しか天地の間に独り步きしつつあらない。時として私は、この二本の桃の木が果実を结ぶ時で私の目を喜ぶことができ、且つまた私目の心殘であって去ってしまうからには,私目にある一つの心殘りを減ってしまい,即ち豈に目にある一つの荷を減ってしまわないかと思いつつあることがある。
すると,やるせない気持に憂さ晴らしを得させてしまうような気がする私は、また正常な状態に入り始めた。
(合主用日記集から)