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ついにWANDS脱退へ[編集]
1994年には「世界が終るまでは…」がミリオンヒット。またタイアップされたアニメSLAM DUNK自体も大ヒットしたことにより、世界中・世代を問わず知られることとなる[3]。そして、この頃から上杉は「俺がしたいのはこんな音楽じゃない!」「ロックをやりてえんだ!」と主張するようになった。「世界が終るまでは…」はロック路線ながらもまだ大衆受けのいい曲(言葉では説明しにくいが)として作ったもの。作曲・編曲もWANDS以外の作曲家・編曲家によるもので、まだ上杉のもとめる"オルタナティブ・ロック"(マイナーなロック)ではなかった。
1995年にはついに作曲・編曲をWANDS自分達(上杉・柴崎)で手がけるようになり、"オルタナティブ・ロック"をやった。しかしこれが(今までのWANDSの曲に比べて)なかなか売れない。
そこで、ついに上杉とプロデューサーの長戸との間に大きな軋轢が生じるようになった。事務所は長戸の絶対君主制で、大物アーティストでも長戸将軍に逆らうことは許されない。長戸の「プロなら売れる曲を作れ」という要求と、それに対する「絶対に嫌だ」という反応。自分のやりたい音楽が出来ず、「アイドル的存在」の自分に嫌気がさし、また作業をするにしても常に長戸の妨害にあうようになり、レコーディングスタジオに犬を連れてきたり、エンジニアのスタッフも犬好きに変えられたり、PVやジャケ写にも犬を使おうとしたりして、上杉はまともな創作活動ができなくなり、1996年に、ついに決意した。
「WANDSから脱退してやる!こんな事務所にいて堪るものか!」 「安西先生・・・!! オルタナティブ・ロックがしたいです」と呟きながら
こうして上杉は同メンバーの柴崎浩を道連れに音楽性の違いによりWANDSを脱退[4]。別の事務所に移籍して、「自分のやりたい音楽」を始めることとなる。
なお、ボーカル・作詞が居なくなったWANDSは当然そのまま自然消滅するかと思えた。常識的に考えればそうだし、ボーカルが交代したら最早「WANDS」として成り立つはずが無い・・・はずであり、上杉も「ボーカルが居なくなったWANDSはこれで消えてなくなるだろう」と思っていた。
しかし、長戸は違った。「一体どこから連れてきたのだろう」というような、上杉とあまりにも声質がよく似た、本物のジャニーズ出身のボーカル(和久二郎)を後釜にたて、WANDSを存続させたのだ。そのボーカルは作詞が出来ず、歌唱力ももちろん上杉よりは劣っていた。しかし、実際は、多くのリスナーは上杉がWANDSを抜けた後、TVや有線でWANDSの新曲を耳にしても、その歌声が今までのボーカル・上杉と違うことに気付かなかったのである(本当)。実際に右の「明日もし君が壊れても 」の動画を再生すればわかるが、代わりのボーカル・和久の声はそれほどまでよく似ていた。
上杉は長戸の姑息な仕打ちにさらに苛立ちが募った。
とはいえ、上杉は柴崎とともにすでに事務所を移籍した。新たな一歩を進み始めることになる。